2008年11月14日
誘導路:塚原治社長
◆「東京オリンピックの時にはサッカーばかり観ていました。中学ではサッカー部に所属していました」と話すのは国際空港上屋(IACT)の塚原治社長。「当時のポジションは、今とは呼び名は違うかもしれませんがライトハーフ。フォワードとバックの間で攻守に関わりながら走り回っていました」と懐かしそうに話す。現在はというと「なかなかサッカーをプレーする機会には恵まれません」というが、テニスやスキー、スキューバーダ...
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