2013年3月12日
【四海茫々(46)】大阪湾国際空港
関空神戸沖案は宮崎・神戸市長の反対表明(1973年)で空の彼方に消えた。いや、そうなるはずだったが80年代に入るや再浮上し、またぞろ世間を騒がす大問題となった。
口火を切ったのは、神戸に選挙区を持つ“ピンさん”こと自民党(当時)の石井一代議士。「遠くてコスト高の泉州沖を止め神戸沖に関空建設を」というのが氏の主張だった。これが80年秋のことである。翌年春、“塩爺”(しおじい)と呼ばれる前の塩川...
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