2018年10月23日
【四海茫々(291)】民生日用の世話
前回、末尾で「住友化学を興したのも伊庭貞剛といえる」と記した。少々、乱暴なので説明を加えたい。
住友は別子銅山から産出した銅鉱を新居浜の臨海工場で製錬していた。しばらくすると、煙害を訴える声が上がり、地域住民の生活や農業生産を脅かす大問題となった。そこでまず1893(明治26)年、煙害の元となる亜硫酸ガスを処理するための事業所を設け、硫酸の生成に乗り出した。おそらく手探り状態での船出であった...
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